2014年3月6日木曜日

感情の表現と感情的な行動はどう違うの? 

人と人の間には境界があります。
境界を無断で越えているのが感情的な行動です。
つまり感情的な行動は不法侵入。



たとえば、映画館で館内が暗くなった状況で、携帯電話のスイッチを入れる。
ディスプレーのバックライトが点灯し、気になる友人からのメールを読む。
あるいは誰のメールが届いていないか確認する。

これをあなたはどう思いますか? 

ひとは感情の動物といわれるように
感情によって瑞々しい暮らしを現実のものにています。
 
その素敵を破壊しているのが、感情的な行動です。
同じようで全く違います。

感情の表現と感情的な行動はどう違うのでしょうか。


たとえば電車でみかけた素敵な女性。
一目惚れだってあります。
恋心は感情です。
そこで「あなたが好きです」と表現するのが、感情の表現。
しかし、いきなり抱きつくと、感情的な行動で、これは犯罪です。

ひとはそれぞれに感情があります。
だから恋心をもつのも、持たないのも、それぞれの心に起こること。
「それぞれ」というのは、ひとによって違うということです。
つまりひととひとの間には見えないけれど、はっきりとした境界があります。

人権という形で「境界」は、法で保護されています。
その境界を、相手の許可なく、越えると人権侵害です。
他人の家に勝手に入るようなものです。

だから恋心は感情の表現として、してもいいのですが、相手への配慮が必要です。
表現はいいけれど、相手に配慮して、不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って行うのが条件です。


それにしても相手の庭に踏み込むような行為なので、これから入らせていただきますが、いいですかという承諾を得るのが、マナー、エチケットなのです。 



感情的な行動とは、承諾もなしに、感情のままに感情、即、行動というものです。
つまり自分と他人との境界もなく、相手への配慮もなく、
感情を行動に移してしまうものです。


腹が立ったから怒る。これは感情です。


しかしこの場合でも、恋心と同じように相手に配慮して、
不安にさせたり、恐怖を与えたりしないように、礼節を守って怒るのが条件です。
怒るとは、相手に恐怖心を与えるのが目標ではありません。

まず、こちらの不安や不満を伝えて、
相手に態度なり、行動を変えてもらうことです。

ですから、「わたしはいまとてもくやしいです。なぜなら・・・」
と説明するのが怒っていることです。

それで通用するのかと思う方がいるかも知れませんが、
先にお話したように、相手に態度なり、行動を変えてもらうことが目標ですから、
威圧的な態度をとる必要なないのです。

この説明を省くとどうなりますか?

感情=即行動ですね。
これが感情的な行動です。

恋心の場合は礼節を守るけれど、
怒っているときはそうはできないというのは、単なる損得勘定です。
感情的な行動は他者に対して向けるだけではありません。

むしろ日頃から、自分に向けているのが習慣化していて、
他者にもカンタンに向けてしまうのです。
気持ちがムシャクシャして暴飲暴食、喫煙などはその典型的な例です。
 
自分を痛めつけることで気分転換していまが、
それを意識できていないことが多いものです。

日頃から自分を痛めつけることが増えると、
行動がどんどん感情的になり感覚が麻痺してきます。

最近は昔なかったような痛ましい事件が続発していますが、
感覚の麻痺と境界の曖昧さが影響しています。


かっては我慢、自分をコントロールしなければならないことが多かったわけですが、
いまでは我慢の機会よりも消費と娯楽による逃避が安直にできてしまうことで、
感情的な行動がどんどん増えているのが影響しています。


消費も娯楽も適度であれば健康に寄与しますが、
度を超えると百害あって一利なしです。


冒頭の質問の答は出ましたか?
気になる、なにか楽しいことはないか、
場所をわきまえず、周囲の迷惑を気にせずに、自分の感情のままに行動する。
自分で知らない間に、感情的な行動がどんどん増えている。


それは言い換えるとひととの境界をどんどん踏み越えているということです。

冒頭の状況で、どうしても、心配なことがあって、携帯電話を利用したいなら、
場を外す、あるいは、(気になることがあるので)ケータイみてもいいですか?と
声をかける。


これが感情の表現です。







2014年3月4日火曜日

自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。 そんなことのないようにするには、どうしたらいいのか?

自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。 そんなことのないようにするには、どうしたらいいのか?




相手が決めること。だからこそアサーティブな態度を実行する。


自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。
よくある話ですね。しかも一度や二度ではなく、何度も同じ相手を傷つけている。

そもそも傷ついたか、傷ついていないかは当人が決めることです。
同じように傷つけたか、傷つけていないかも当人が決めることです。

だから、お互い好きなようにすれば・・・・。で済ますなら済んでしまうかも。でも、これでは、身も蓋もないですね。

だから後で後悔するなら、先に手を打つ方が断然いい。
そこでアサーティブにやりましょうと、アサーティブというとを薦めています。
アサーティブとは、「積極的自己主張」のことですが、これでは誤解を生んでしまう翻訳です。主張というよりは自己表現のほうが受け入れやすいかも。
相手の判断をこちらがコントロールするわけにはいきません。
自分がコントロールできるのは、自分しかありません。
相手が不安になるようなことをしない、言わない。これは自分次第でコントロール可能です。つまり積極的自己主張とは相手をやっつけるのではなく、自分をコントロールしながら相手にコミュニケーションしていくことを解釈できます。
自分をコントロールするとは、自分を抑えるのではなく、自分と相手の権利を認め、自分も相手も尊重しながらコミュニケーションしていくことです。

次にあげる点を意識していたら、相手が傷つけられたと思うような機会はかなりの確率で防げます。
人間の12の真実

・価値ある存在として認めてほしいと思っている
・「拒絶される(見捨てられ感)」ことを最も恐れている
・誰にでも「外面」と「内面」がある。
・自尊心を傷つけるようなことをして互いに得になることはない。
・自分の価値観を否定されると心が動かない
・自分に好意を持っている人に好感を持つ
・未来に対して「自分はどうなるのか?」という不安を持っている。
・だから変化を好まないのが一般的だ。
・自分にとって大事な個人的を考え、話したがる
・自分が理解できることだけを傾聴し受け入れることができる。
・実にくだらないと思える人間はすべての層に存在している。
・はっきりした理由がないこと、論理的な説明が出来ないことを考えたり行動する
さらに、自分も相手も傷つけないを実行する上で、傾聴によって相手を知ることが欠かせません。
知るためのポイント

・自分自身のことを本人がどう思っているのか
・大切にしていること、重要視していることを知る
・仕事の目的はなにか
・気にしている不安や恐怖はなにか
・受け入れがたいポリシーはなにか
・仕事に期待していることはなにか

これらのことを知るには、よく聞くという姿勢「傾聴」なしには、知りようがありません。傾聴しても分からないのが本当だと思いますが、 それでも自分の言いたいことを言うだけと比べたら随分違うものになるのは明白です。

知らない間に傷つけている・・・・特に年齢を重ねると気をつけたいですね。
若いときは結構、遠慮もあるし、経験が少ないこともあって謙虚さが備わっています。
物怖じしなくなると、無遠慮に言いたいことを言う傾向があります。
本人は冗談のつもりで、悪気はないけれど、人にはそれぞれ気にしていることがあります。
それを気にせずに言うと傷つけることになるので、注意したいものです。 

アサーションによるWIN-WIN(ウィン・ウィン)のルールです。

・相手の話を聴ける自分
・相手の立場を考えて、自分の意見を主張できる
・タイプに合わせたアプローチができる
・思い込み・決めつけで、可能性を閉じない
・感情的な行動で、価値をボロボロにしない
・共同体の一員であることを忘れない(チームワーク)


アサーティブな態度。
アサーティブは、自分のことを大切に考えるが、同じように相手を大切にできる、自信を持って説得力のある心の豊かさを印象づけられる態度で、互いに納得理解のもとに協働を実現します。
ただ自分の言いたいことを主張するだけでは自分本位に映るだけで、自己主張にはならないでしょう。
自己主張も、相手が決めることでしかありません。相手がわがままと言えばわがままになってしまう。

同じことを話しても、相手が知っていることを教えるのでは、押しつけ、おせっかいになるだけれど、相手が知らないことであれば、親切になります。

以前、ホームレスの方に、不自由しているだろうと想像して、食事を持って行ってあげた方がいました。ところが「自分はあなたよりいい物を食べている」と断られました。ホームレスの方は誇りをもっていらっしゃったわけです。相手を知らないままに一般的な思い込みをベースに善意でしたことが裏目に出たケースです。
「裏目」と言ったのも一般的な思い込みです。
断られたことで、「安心した」と思うことも可能なのです。相手のことを心配するなら安心するのが妥当です。断られたに注目すると「自分が傷ついた」になるか、「相手を傷つけた」にもなります。
同じことでも見え方が変わるのは認識の仕方が違うからです。

その裏返しが、同じことでも違う見え方ができるフレキシブルさを教えてくれます。

認識と併せて この一件から見えてくる重要な点は、「
アサーティブな態度」が結果に与える影響がものすごく大きいということです。同じことをしても、態度、言動で。全く違う結果になる可能性があるのです。


自分では傷つけたつもりはないけれど、相手は傷ついている。というのも、このような関係性の延長にあるのです。
だからGIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)を主張しています。
心が通じ合う関係ってありますね。
その場合でも傷はつくのは避けられないことが多い。でもそれで関係性が破綻しないのは、GIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)か、同等のセンスが働いているからです。

気を使うこととGIVE&GIVEN(ギブ・アンド・ギブン)は違うといえば違うし、同じと言えば同じ。気を使っても、気を使わせたらプラスマイナスしたらゼロか、立場によっては負担を強いることになります。その微妙は相手を思いやる気持ちだけが知っていることだと思います。

でも、そこにも落とし穴があります。他者はあなたの意識に興味がありません。結果だけです。あなたがどう思っていようが関係ない。あなたがなにをしたかだけです。

あなたの意識に関心を持って注意深く見てくれるひとは、地球上にどれだけいるでしょうか?その事実を認識するほど、アサーティブな態度が、どれほど重要であるか分かってくると思います。




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